2011-01-12

Road of memories (逝くとき、祝うとき)


Kodak GC400, Nokton Classic 40mm f/1.4 S.C.
Road of memories #1, originally uploaded by Giyu (Velvia).

生誕を当然のこととして、価値あると祝うのならば、
死も同じく命の自然の選びとして、祝っていいもの。



供華, originally uploaded by Giyu (Velvia).

私が逝く時にはきっと、やり遂げたこと思い浮かべはしない。
私が逝く時にはそっと、その面影微笑むだけでいい。



“いつの日か、私が逝く時には、生も死も哀れまずに、
私という、ひとかたまりの、願いどおりだと祝って欲しい”


※若くして亡くなった祖父、その後四半世紀以上、何人もの子供をひとりの手だけで貧しいながら育ててきた祖母は、何も変わらない、この小さな炊事場で過ごしてきた。炊事場は居間の隣りにあり、高い段差がある所為で往来に苦労する。四畳足らずの小さな炊事場には本当に小さなコンロと、ヤカン類、洗濯機まで詰め込まれている。
笑顔を絶やさず、悲しい素振りをしない家系は、貧乏な戦後を生き抜いてきた祖母とその兄妹たちの苦労故なんだろうと思う。なにせ、亡くなった事実に言葉をはせる時以外は、祖母の生前と今を語るこの人たちは、本当に楽しそうだから。
だから、自然の選びとして笑顔で祝いたい。


※写真最上段…私が生まれてからずっと思い出の道。先に逝った祖母たちの家へ続く道。この景色は30年を超えてもなお何も変わらない。きっとこれからもずっと。(急逝当日撮影) ※写真中段…供えられた白い菊。※写真下段…生前過ごした炊事場。

※詩は、シンガーソングライター小椋佳「デリュージョン」より「逝くとき、祝うとき」より出典・引用。自分の思う生と死の価値観に共感する命の歌。自分の経験してきた友人の死、親族の死、先に逝った人を哀れんだりはしない。逃げかもしれないけど、出来れば祝ってあげたい。ただ自然の中で今の世に生まれ、自分より早く次の世へ逝っただけなんだと思う。