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何気なく広島市内を見下ろす標高550メートル程度の絵下山へいってみた。一緒に行った某ふじやんは借りた 300ミリ望遠鏡で試行錯誤している横で、パシャリと。
何気なく広島市内を見下ろす標高550メートル程度の絵下山へいってみた。一緒に行った某ふじやんは借りた 300ミリ望遠鏡で試行錯誤している横で、パシャリと。
広島の湯来町にある湯之山明神社にふらりと行ってみました。(※写真は同明神本殿)
湯之山明神社は大同弐年(西暦807年)、和田感応山麓慶蔵院境内に鉱泉が湧出したところから脈々と続く湯治場で、宝永四年(1707年)には宿屋が作られ、今も湯之山温泉として小さな温泉街があります。湯之守神とされ、今よりおよそ200年前、琵琶法師が湯治をし、目の病が完治した際に四面奉納された琵琶が今も拝殿に残っています。
(写真は四面奉納された琵琶)本殿、拝殿と共に湯治場の建物も国の重要有形民俗文化財ですが、湯治場は「旧湯治場」とされ、今は使用されていません。しかしながら、寛延元年頃からの建物は神聖さを失っていません。今も旧湯治場に湧き出しており、それを現在の湯治場へホースでつなげているようです。
※現在の湯治場は旧湯治場のやや下に設けられています。
――(以下、同由緒より)今を去ること約1200年の昔、広島県佐伯郡湯来町和田の和田感応山麓慶応蔵院境内より湯が湧出しました。人々はその湯を尊び、湯元大明神として社を建立し崇敬しました。以降、湯の絶えることはありませんでしたが、1700年代に入り、特に湯の湧出量が豊かになりました。
(写真は旧湯治場)その噂は、広島藩内はもとより、他国にまで広まり、多くの人々が御神徳を得るために参拝、入湯しました。霊泉の御神徳は顕著であり、「拝殿に琵琶四面を掲ぐ琵琶法師此湯に浴して眼明かに業を改て宝前に残す」(都志見往来日記)など、多くの御神徳を人々に与え、病気を平癒した記録が残っています。
現在の神殿、拝殿は寛延弐年(1749)に藩主浅野吉長公により藩事業として再建計画され、寛延参年(1750)竣工、同年霜月(拾壱月)十日に吉長公が社参し、鉄灯籠・金幣などを寄進するとともに遷座祭を執行しました。
先日、知人が私と某ふじやんの強い圧力と献身的な強引さでデジタル一眼レフカメラをゲット。購入したのは、新しく発売されて話題のニコン D50 のレンズキットと、某ふじやんの威圧的なマインドコントロールでニコンのマイクロレンズをセットで購入されました。
御盆休みには早速山口県豊北町にある角島のほか、カルスト台地、秋芳洞へのカメラを持ってドライブに行かれた模様で、DSLR ならでわの美しい写真を早くもバシバシと撮ってました。まだまだ充分に満足のいってる様子ではないものの、その写真を撮る行為に満足してもらえれば熱く推薦した甲斐があるというもの。
先月、米国内のベスト企業ブランドでは 6 年連続のトップを誇ったソニー。(その他日本勢ではトヨタが 6 位、ホンダが 7 位)しかし、先日発表された世界企業ブランド番付では、韓国サムスン電子に抜かれて 28 位となった。(日本勢では唯一 9 位にトヨタが入る)
薄利多売、技術革新への遅れなどソニーらしさが、どんどん失われた 2004 年のソニーはついに赤字転落し、いよいよ“世界のソニー”は堕ちつつある。昨日は、シンガポールのリー・シェンロン首相が建国 40 周年記念式典で「ソニーではなく、サムスン電子やフィリップスを見習おう」と演説すらしており、ソニーブランドは世界的規模で急降下をしている。もちろん、日本ではまだかろうじてトップブランドではあるが、国内ですらあらゆる分野で、他の日本メーカーのみならず、中国や韓国、欧米の企業に席巻をされているといってもいい。
携帯電話についても、世界のトップメーカーであるノキア、サムスン電子にこれからどんどんシェアを奪われているし、日本が誇ってきたゲーム市場ですら、もはやメインストリームとなったネットワークゲームではほぼ韓国メーカーの独占市場だ。来年は、PS3 も発売され、米マイクロソフトの XBOX 360 との対決が、今期ソニーを支えた PS2 市場の先行きを占う試金石となるだろう。
ちなみに、中国市場では日本製品はほとんど無いという。どこを見ても、ほぼ中国製品。日本製品は高価すぎるためで、日本で報道されているような中国市場への参入は実情として皆無といって言い。しかしながら中国製品と価格差の少ないコンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)市場だけは唯一、日本製品の独占市場となっており、中国のコンデジ人気メーカーは、ソニーがトップをキープしている。(ちなみに中国コンデジ人気ブランドは、2 位がオリンパス、3 位がキヤノン)
サンスクリット語が語源の盂蘭盆会(うらぼんえ)、すなわち「お盆」は昔からご先祖様を敬い、家に向かいいれて供養する仏事で、平安時代くらいから続いているらしい。
江戸時代には、お盆のときに親戚などが会して盆礼と呼ばれる贈り物を届けるところから、現代の中元として定着しています。ちなみに盆礼は、関西では素麺が定番で、関東では米や麦粉が定番ですね。
うちは幸いにして不幸で、盆行事は皆無。何年も先祖供養なぞしていません。どこに墓があるかも知らない…。
まあそんな盆は、7月13日~16日までで、旧盆は8月13日~16日。つまり今日で盆休みは大抵が終わるので、明日から仕事という人も多々いるでしょう。盆が過ぎれば、蝉の声からコオロギの声が聴かれるようになって幾分涼しくなる。過ごしやすいシーズンだけど、天敵のカメムシなどが出てくる時期なので(9月から11月)そろそろサッシ部分などにスプレーしたりと対策に忙しくなります…。だから春ほど好きではありません…
※インドで使われたサンスクリット語は仏教から来る言葉に多大な影響を与えており、「世話」や「僧」「琵琶」などだけでなく「馬鹿」や「ラッパ」なども実はサンスクリット語が変形したものらしい。
ペルセウス座流星群を見ようと一人、北東がよく見渡せて、なおかつ暗いところということで、深夜に瀬戸内海の音戸へ行き、とりあえずシャッターを切ってみたものの、まったく撮れず。ほとんどは増える雲ばかり。
収穫が無いのも寂しいので、帰り際に海上自衛隊呉基地へ。呉の潜水艦戦用の桟橋である S バースには歴代の潜水艦が多数見られる点で貴重という。写真手前は練習潜水艦、奥には護衛艦「はるしお」など常時20隻以上が停泊している。
――鎮魂の想いを灯篭に込めて、原爆で亡くなられた人々を追悼する行事が、毎年原爆投下の 8 月 6 日夜行われます。長崎で謂う処の精霊流しとおなじもので、灯篭には非核、反戦の願いがつづられています。当時、原爆の高温で全身が焼けただれた人々が水を求め、この灯篭の流された元安川に無数に入り、川は死体で埋っていました。
たった 60 年前の出来事は想像すらできないほど綺麗に整備されているものの、今夜だけはレクイエムと灯篭の灯火が、鎮魂のざわめきに安らぐようです。
戦後60年を経て、周りの同年代、親にあたる世代の人々も広島に住みながら被爆の事実に無関心になり、薄れ行く原爆の記憶。
見慣れた原爆ドーム、赤十字病院の被爆建物など身近にある負の遺産に刻まれた紛れも無い、たった60年前の人類史上最悪の過ち。
GHQ によって米国指導による戦後教育で意識から消される米国の過ちと日本の過ち。
半世紀前の事実を知らずに今の欧米文化に吸収されゆく日本。